一般社団法人
合氣道ひの心発足
メインのページに重なる文章になりますが、合氣道開祖植芝盛平翁は東京で合氣道の本部道場を始める前に熊本の八代に3ヶ月滞在して合氣道の指導をされたそうです。なんのためにだったのでしょう。その答えは数十年後、私の師によって明らかになります。
開祖は、当時の指導をした弟子に「この武道は火の国から興る」と言われたそうです。
すでに開祖より9段を允可され、九州の火の国熊本を中心に多くの弟子を 育てていた先生は自分のことだと確信されたそうです。
更に先生は晩年、弟子たちに、太陽に感謝し、朝陽に手を合わせることが、誰にでもわかりやすい、自分が生かされていることへの感謝を表すことです。と言っておられました。ひの心は、火の国の「火」から始まり日の本の「日」になり最後は太陽の「陽」となるように波紋のように3段階に世界に広がる意味を込めてあります。先生は「この武道が世界に広がれば世界は平和になる」と言われました。この大きな目標に向かって頑張ります。
我が人生、二作目を紹介するにあたり、改めて合氣道ひの心の団体名の由来とこの法人が目標とするところを最初に掲げることにしました。
同時に、私が主催する支部道場の温故知新塾は「古きを温(たず)ねて新しきを知る」
の通り、大先生に教わった合氣道を温ねて、私が培ってきた精神と技を、新しい世代に伝えてゆくという自分の目標の中から、3カ所指導をしている全てを含めて、温故知新塾と名づけました。
The founder of Aikido, Morihei Ueshiba, is said to have spent three months in Yatsushiro, Kumamoto, before opening the Aikido headquarters dojo in Tokyo. What was the purpose of this stay? The answer to that question would become clear decades later, as revealed by my own teacher.
During his three-month stay in Kumamoto, the founder reportedly told one of his students at the time, "This martial art will rise from Hinokuni”. The Japanese phrase Hinokuni can mean the country of the fire or land of the sun. It is also commonly used to refer to the region of Kumamoto. After receiving the rank of 9th dan from the founder himself andnurturing many Aikido students in Kumamoto and around Kyushu, my teacher became convinced that he was the one referred to by this statement byAikido’s Founder.
In his later years, my teacher would tell his students that giving thanks and bowing to the morning sun is a visible expression of gratitude for being alive. Our organization name "Hi no Kokoro" is inspired by this teaching and signifies a three-stage ripple spreading throughout the world, starting with"Hinokuni(Kumamoto)" and spreading throughout Japan (Nippon) and ultimately throughout the world. Our teacher said, "If this martial art spreads throughout the world, the world will find peace." We will strive toward this lofty goal.
In introducing my second work in my life, I have decided to clarify the origin of the name "Aikido Hi no Kokoro" and the objectives of this organization once again. Simultaneously, our branch dojos, collectively named “Oncotishin Juku,” reflecting the motto "to seeek the old to understand the new." Just as I have nurtured the spirit and techniques of Aikido taught to me by our great teacher, I have named them "Oncotishin Juku" to encompass everything, including the three locations where I provide instruction, as part of my goal to pass on these teachings to a new generation.
메인 페이지와 중복되는 내용이지만, 아이기도 창시자 모리헤이 우에시바는 도쿄에서 아이기도 본부 도장을 시작하기 전에 야두시
구마모토의 야두시로에 3개월 동안 머물며 아이키도를 가르쳤다고 합니다. 그게 무엇을 위한 것이었을까요? 그 답은 몇십 년 후, 나의 스승에 의해 밝혀질 것입니다.
창시자는 당시 제자에게 "이 무도는 불의 나라에서 기원한다"고 전해졌다고 합니다. 이미 창시자로부터 9단을 승인받고, 구마모토의 불의 나라를 중심으로 많은 제자를 양성한 스승은 그것이 자신을 가리킨다고 확신했다고 합니다.
게다가 스승은 노후에 제자들에게 태양에 감사하고 아침햇살에 절 하는 것이 누구에게나 이해하기 쉬운, 스스로가 살아있음에 대한 감사의 표현이라고 말했습니다. 그는 "히노 코코로"라는 이름은 불의 나라의 "불"에서 시작하여 일본의 "일"이 되고 마지막으로 태양의 "양"이 되도록 파급적으로 세계에 퍼지는 의미를 담고 있다고 말했습니다. 스승은 "이 무도가 세계에 퍼진다면 세계는 평화로워질 것"이라고 했습니다. 이 큰 목표를 향해 노력하겠습니다.
우리의 삶에서 두 번째 작품을 소개하는 것에 있어서, "아이키도 히노 코코로"의 이름 유래와 이 단체가 추구하는 목표를 다시 한 번 명확하게 밝히기로 결정했습니다.
동시에, 내가 주관하는 지부 도장인 "온고지신"는 "옛 것을 따뜻하게 찾아 새로운 것을 이해하다"라는 원칙을 따르며, 대 스승으로부터 배운 합기도를 따뜻하게 간직하고, 나의 영혼과 기술을 쌓아온 새로운 세대에게 전달하는 나의 목표 중 하나를 나타내기 위해 "온고쿠 지뉴크"라는 이름을 붙였습니다.
私、合氣道がしてみたい!
仕事が終わるとよく飲みに行く私ですが、行きつけのBARでスタッフの女性が「私合氣道に興味があって稽古してみたいです。」と言われました。朝稽古に行っていた私でしたが、教えることもいいかと、その人のために指導をすることにしました。まずは場所探し、熊本に帰ってきて、長年通った水道町の道場からほど近く、熊本で初めて昭和36年に合氣道開祖、植芝盛平翁が合氣道演武を行った振武館で毎週月曜日の18:30から稽古を始めることにしました。
振武館は、財団法人の熊本公徳会が運営する武道場で、以前あったところから、都市開発の一環で取り壊されるところ、建物自体は浜線健康パークに移築されており、剣道などの活動は、以前の場所から近いびぷれす熊日会館の7階に立派な剣道場と柔道場を含む武道場として一般にも開放して運営されています。
そこで月曜日の休みを利用して夜の部として教えることにしました。
基礎
合氣道の技は動けばそこに技が生まれると開祖が言われたように数え切れないくらい無限の技がありますが、基礎として大切なことは
身体が柔軟なこと、身の躱しかたが上手なこと、上手な転び方ができることです。武道でいう体捌きと受け身ですね。
まず、柔軟な身体は、怪我をしにくい身体作りです。赤ん坊の頃は身体が柔らかく少々のことでは怪我をしません。私の稽古では柔軟運動として 真向法体操を取り入れています。
(真向法は健康法の項目の中に詳しく説明してあります。)
次に上手に身を躱す方法を合氣道では体捌きと言いますが相手の攻撃を躱すための稽古ですが、普通の社会生活の中でも何かにぶつかりそうになった時など自然に身を躱せるように稽古していきます。
(稽古風景の中に体捌きとして説明してあります。)
次に受け身ですが、これは上手な尻餅のつき方や転び方の練習です。
前向きにうつ伏せに転ぶ方法、前向きに前転する前受け身、後ろ向きに尻餅をつきそのまま一回転する後ろ受け身、後ろ受け身にも、背中の対角線上に一回転する方法と、遠心力がかかった場合の背中の側面を使って一回転する受け身など、その時の状況により自然に体が反応するように稽古します。
自己の使命
修行時代、熊本市内中心部にある手取神社という神社の境内に私が修行した道場がありました。もともと、高校時代に合氣道部だった私は、入門の時、昔の稽古をイメージして稽古に参加したのですが、熊本の合氣道は印象が少し違っていました。高校時代に覚えた技は所々には出てくるのですが、1時間の稽古に一度か二度出てくるくらいで、ほとんどの技が呼吸技と呼ばれるもので、戸惑いを感じました。古い技をベースにした技は、その型をとどめており、稽古を重ねるごとに、その進化の過程を理解できるようになりました。
受け身も後ろ受け身が、高校時代とは違う部分があり、慣れるのや、なぜそうなったのか理解するのにずいぶんと時間がかかりました。大先生は古い技にとらわれず、どんどん進化していたのです。頭で考える進化ではなく毎日、毎日の稽古の積み重ねの中で何年もかけて変化してきた技は研ぎ澄まされたものになっています。
私は、幸運にも高校時代の合気道部での稽古で基本の技を覚え、熊本に帰って進化した技に出会えたのです。それに気づいてから毎日の稽古がとても新鮮なものになりました。
7段クラスの先輩達は最初から大先生に習った方達が多く、大先生の技が当たり前になっていて、その進化に気づかない場合が多いのです。
多分、世界中の合氣道を稽古している人たちは、大先生の技の進化を知りません。大先生の技は直接先生からお聞きしたのですが、自分の心の世界に比例して技が進化するとおっしゃっていました。
私の使命はその違いを伝えていくことかも知れません。私が進化した合氣道に出会い、毎日が新鮮になったように、世界の合気道家達が新鮮な気持ちで稽古できるようになれば、合氣道はもっと世界に広がることでしょう。
学ぶと教わるの違い
昔、美容師の修行時代、先生から学ぶという姿勢と、教わるという姿勢について指導を受けたことがあります。学校の勉強でも大いに言えることですが、学びたいと思っている時は、その科目について興味がたくさんあり、なんでだろうという疑問や事前に調べたりもあって、答えが見つかると、なるほどと納得した時に、1つ言われたことを10くらい受け取ることができるのに対し、教わるという受けの姿勢は10言われたことを1つしか受け取れない場合が多いのです。言い方が極端ですが、この心の持ち方が数年後には大きな差になってきます。
合氣道の技は複雑ですが、学ぶ姿勢で興味を持ってコツコツと、ネガティブではなくポジティブに教えを受ける気持ちで修行することが大切です。
快・息・食・動・心・環
2022年7月から長年交流のある、S先生に、快医学という健康法を学びに行きました。簡単に言えば、息(呼吸)、食(食べ物)、
動(運動)、心(精神)、環(環境)を快(心地よい)方向に持っていけば、健康になるという何とも肩の力の抜けた健康法だと感じセミナーを受けることにしました。
最初に教わったのは、操体法という、整体です。操体法は、橋本敬三先生というドクターが考案した整体で、全体の関節を痛い方ではなく、痛くない方に動かし呼吸と合わせて気持ちのいいタイミングで「すとん」と力を抜いて深呼吸をするというものです。
全身を耳、肩、背骨、腰などの歪みをチェックし、関節の可動域を観察する動診をして、腰を中心に歪みを取って行きます。身体にはたくさんの関節があってそれぞれが連動して体の動きを作っています。どこか
1箇所でも故障すると全体に響き動きが鈍ってきます。
一人で実施する操体法、施術的に2人でする操体法、座位でする操体法などがあります。
合氣道の開祖は合氣道の関節技である基本の技を全体の関節のカスを取る技だと言っていたそうです。まさにこの操体法こそ全体の関節のカスを取る究極の技だと感じ、この簡単に見えて複雑な操体法を極めてみたいと思います。